メロリンキューが国会へ!?山本太郎、ふざけた高校生から本気の政治家になるまで!

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「メロリンキュー!」からすべてが始まった

あの時、誰が想像しただろう。
上半身裸にボディペイントを施し、「メロリンキュー!」と叫んでいた高校生が、数十年後に国会でマイクを握り、消費税や原発問題について真剣に語る日が来るとは──。

今回は、山本太郎さんの「メロリンキュー時代」から「政治家・山本太郎」への劇的な転身ストーリーを、あの頃の“勢い”を忘れずに振り返ってみたいと思います。

【1990年代】「ダンス甲子園」でメロリンキュー爆誕

1990年代、日本テレビの人気バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の名物コーナー「ダンス甲子園」に、当時高校生だった山本太郎さんが出演。
その中で披露したのが、あの伝説のギャグ「メロリンキュー」です。

ボディペイント姿で「メロリンキュー!」と奇声を上げて踊る姿は、当時の視聴者に強烈なインパクトを残しました。
SNSもYouTubeもない時代でしたが、今なお語り継がれる“伝説の珍パフォーマンス”として記憶されています。

【2000年代】俳優として順調なキャリアを築く

バラエティの強烈キャラから一転、山本さんはその後、俳優としての道を歩みます。
『新選組!』『ロング・ラブレター』など人気ドラマや映画に多数出演し、「おふざけキャラ」からの脱却に成功。
「メロリンキュー=黒歴史」かと思いきや、本人はいたってポジティブに捉えていたようです。

どんな役でも全力でぶつかる姿勢は、すでに“政治家の素質”を感じさせていたのかもしれませんね。

【2011年】原発事故が人生を変える

そして運命の2011年3月11日。東日本大震災、そして福島第一原発事故が発生。
この出来事が、山本さんの人生を大きく動かします。

以降、彼は反原発の活動にのめりこみ、事務所を辞め、俳優業もセーブ。
テレビ出演も激減し、「仕事を失ってでも伝えたいことがある」と全国で講演活動や街頭演説を始めました。

あの「メロリンキュー」の彼が、まさか社会派の顔でスピーチをするとは…世間は驚きつつも、彼の覚悟に心を動かされていきます。

【2013年】ついに国会へ!参議院選出馬

そして2013年、山本太郎さんは無所属で参議院選挙に出馬
当初は“泡沫候補”扱いされるも、都民の支持を集めてまさかの当選

しかも、その後も政界で一貫して「脱原発」「反格差社会」を掲げ、2019年には「れいわ新選組」を立ち上げ、独自の政治スタイルで注目を集め続けています。

「メロリンキュー」は消えなかった

ここで興味深いのは、山本太郎さんは過去の“ふざけた自分”を隠さないということ。

国会議員として真剣な顔で質疑に立ちながらも、インタビューやSNSでは「メロリンキューだった自分も本物だった」と語ります。

実際、あのギャグにも「とにかく目立って、自分を表現したい」という彼の本質が表れていたのかもしれません。

「本気でふざけて、本気で変える」

メロリンキューという名前が笑いを取ったように、今、山本太郎という政治家は真剣な怒りや希望を、ストレートな言葉で届けています。
国会でも「怒鳴るような演説」が目立ちますが、それは“あの頃の勢い”の延長線なのかもしれません。

昔からずっと“本気”で“全力”。だから、過去と現在が一本の線でつながっているように見えるのです。

まとめ:メロリンキューは笑いで終わらない

山本太郎さんの人生は、まさに「ギャグから始まる本気のストーリー」
笑われた過去を武器に、信念をもって突き進む彼の姿は、今の日本にこそ必要なメッセージなのかもしれません。

「ふざけた高校生が、国を変えようとしている」──そう思うと、なんだか勇気が湧いてきませんか?

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